おばあちゃんに会いに行く -三宅弘晃-

「写真を撮る」という行為は「今ここ」を感じて切り取る、マインドフルネスな行為。この連載では、そんなふうにマインドフルネスに生み出された写真とその写真にまつわるストーリーをご紹介しています。

お茶づくりが盛んな埼玉県狭山市に、僕のおばあちゃんは住んでいる。

幼い頃より都会育ちだった僕にとって「狭山の家」は何もかもが新鮮で、兄や弟とともに広い畑で遊ぶのが大好きだった。

「狭山の家で餅つきをするけど、来る?」

母に誘われたのは2019年の年の暮れの事だった。最後に狭山の家に行ったのは一体いつのことだろう。かれこれ十年以上は顔を出していないのではないだろうか。聞けばおばあちゃんはすでに95歳にもなっているらしい。

狭山の家は30年前と一切変わることなく、のどかな田園風景の中にあった。幼い頃には大冒険の舞台だった畑はあまりに小さく、懐かしさとともに僅かな寂しさを思い起こさせた。餅つきの準備はすでに始まっており、燃える薪ともち米の匂いが立ち込めていた。

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「弘晃、よくきたね」

おばあちゃんはしわしわの手で僕の手を握り、ねぎらってくれた。母は茶色い紙袋から毛糸の帽子を取り出し、「冬は寒いから」と、両手でおばあちゃんの頭にかぶせる。

おばあちゃんは縁側に座り、次々に突きあがる餅を眺めながら、うれしそうに帽子の手触りを確かめていた。

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狭山の家には、続々と親戚が集まってきていた。いとこの桂介さんは狭山市内で育ち、昔からおばあちゃんを慕って幾度となく通っていたと聞く。ところが、やはりここ数年は顔を見せることもなくなっていたらしい。桂介さんの姿を見つけたおばあちゃんはしっかりとした足取りで立ち上がり、桂介さんにすがり寄った。

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大勢の親戚が集まれば、話も弾む。狭山の家ならではの大きなのし餅を囲みながら、にぎやかな時間が流れた。

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気付けば、あれから一年が経った。

世界は目まぐるしく変化し、人と会う機会はめっきり減った。それでもなお、僕と同様、おばあちゃんもさらに歳を重ねている。

ふと思う。僕はおばあちゃんと、あと何回会えるのだろうか。

疫病が収束したら、大切な人に会いに行こう。

おばあちゃんは説教じみたことは言わないけれど、「会えるなら、どんどん会いに行きな」と、言ってくれているような、そんな気がした。

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三宅弘晃
キャリアコンサルタントカメラマン
キャリア心理学を応用し、その人の魅力あふれるポートレート撮影を行なっております。活動テーマは「モヤモヤを、イキイキに。」

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