「自分を大切にする」とはどういうことか|「髪」から始まるセルフ・コンパッション

こんにちは。
柏原里美です。
Mindful.jpで記事を書かせてもらうのは、2年ぶり3回目となりました。

*よろしければ過去の記事もどうぞ!

2年経つと、世の中も、人も、変わります。
私も例外ではなく……この2年の間で、私は「髪・頭のケア」のご提案を始めました。

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KAMI.llc official 「自分」と「自然」を慈しむ暮らしを提案する

「髪」を大切にするって「自分を大切にすること」です。

先に言っておくと、私はそれがとても苦手です。
「髪」に向き合うことで「わかったつもりになっていたけれど、全然できていなかったんだなぁ」と気づいたわけです。
今回は、そんなことを書いてみたいと思います。

もくじ

髪の毛は「死んだ細胞」

そもそも髪とは、何なのでしょうか。
「髪」の仕組みは結構、複雑です。
が、ここでは思い切って「毛根」「毛髪(毛幹)」に分けて考えてみてください(イラストの左側の区分です)。

私たちがふだん「髪の毛」と呼んでいるのは、地肌から出ている「毛髪(毛幹)」の部分です。
ここは、角化した細胞、つまり「死んだ細胞」の集まりです。
一方、地肌に入っている部分「毛根」と呼ばれる部分。新たな髪がつくられるのは、ここです。

この構造から髪をケアするうえでのポイントが2つ見えてきます。

ポイント① 「見えている部分」よりも「見えない部分」が大事

「髪をケアする」と聞くと、ほとんどの方は「外に見えている部分(毛髪)のケア」をイメージします。でも、毛髪は「死んだ細胞」。残念ながら劇的に回復することはありません。

実は、いつもは隠れている「見ない部分=毛根(地肌)」こそが新しい髪を生み出す重要な部分。見えない部分(地肌、頭皮)をケアすることで、新しく生えてくる髪が元気で美しくなるのです。

ポイント② 大切なのは、余計なことを「しない」こと

「髪の毛」は「死んだ細胞」で、自然に元に戻ることはありません。
ここから逆算すると、髪を美しく保つコツは、ものすごくシンプルダメージを極力避けることです。

生きている限り、避けられないダメージはあります。たとえば、髪を洗ったり、ドライヤーで乾かす時の熱や紫外線など。
その一方で、「良かれ」と思ってやっていることが、知らず知らずのうちに悪影響を生み出していることもあります。その代表例が、カラーリング(白髪染め含む)やパーマ、トリートメントなどです。

すべてが該当するわけではありませんが、一部の薬剤には髪にダメージを与える……のみならず、薄毛や抜け毛を招く成分が含まれていることもあります。

大切なのは、余計なこと(不要なこと)は何かを見極めて、それを避けること。そのためには、構造・成分を理解することも大切ですね。

髪は「大いなる存在」と自分をつなぐもの?

もう一つ、別の視点から「髪」について考えてみます。
そもそも「髪」はなぜ「かみ」と呼ばれるのでしょうか

「髪」が「かみ」と呼ばれるようになったのは、古代のこと。
書籍『髪の文化史』(荒俣宏著)には、次のように書かれています。

一般に日本人は、天上に神がいる、と考えたので、上をあらわすカミという語を神の意味にも用いた。当然、人体に宿る神、すなわち魂もまた、上にある毛髪に住まうと信じるようになった。

さらに同書によると「髪と神が等しいという発想は、世界中のいたるところに見受けられる」そうです。

太陽は、地上に生命をはぐくむ大きな自然のエネルギー。
このエネルギーは、太陽から発する光の筋によって、地上に送りとどけられる。
古代人は、この光線を「太陽の髪の毛」と考えた。
したがって、太陽は「光り輝く長い髪をもち、長いひげを生やした神」としてイメージ化される。

そんな影響もあって、太陽神とされるギリシア神話のアポロン、インド神話のアグニなどは、長い髪をのばした神の姿をとっているとか。このように「髪」は、古代から神(人知を超えた大いなるもの、自然、聖なる力)の象徴として捉えられていました。

こうした伝統は、今でも身近に残っています。たとえば、フラダンスをしている方の髪が長いのは「髪には霊力(マナ)が宿る」という言い伝えがあります。
また、日本でも、神社の巫女さんの募集要項には「黒髪(ヘアカラー等を行っていない)の長髪」と書かれることもあります。「何も手を加えていない髪が、神に仕えるのに相応しい」と考えられているのかもしれませんね。

だから「オーガニックヘナ」をお勧めしたい

いかがでしょうか。
ふだん何気なく接している「髪」には、こんな側面があるのです。

まとめると、髪を美しく保つコツは、この2つ。

  • 見えない部分(頭皮)にも届くようなケアをする
  • カラーリングやトリートメントをするならば、できるだけ傷まない方法を選ぶ

そして、伝統的に「髪」=「神聖な場所」だからこそ、自然の力でケアするほうが適していそうです。

こうした理由から、私たちは「オーガニックヘナ」「オーガニックハーブ」を用いたケアを提案します。
ヘナは、5000年前から使われてきた伝統的な植物。旧約聖書にも「ノアの方舟に塗る時に使われた植物」として登場します。

じゃあ、具体的にどんなふうにケアをしたらいいか。
興味をおもちいただけましたら、ぜひこちら↓をご覧ください!

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「頭でっかち」の「わかったつもり」になっていた

と、ここまでアツく髪について語ってきましたが、私は元々、美容とは縁遠い存在。
本職は「人の本質的な成長に資することがしたい」と強く願う編集者です。

つくってきた本には誇りをもっています。
でも、この仕事を続けるなかでモヤモヤを感じるようになっていきました。

たくさんの物事を知っていることが「成長」なのでしょうか。
それは、違いますよね。本が提供する「知識」や「理論」だけでは、人は成長できません。実際に人を変えるのは「経験」です。身体、心、魂に刻まれる「経験」を通して、人は成長していきます

もちろん「知識」や「理論」は必要なものです。
でも、知識や理論を学び「頭でっかち」になると「わかったつもり」になってしまいます。すると、本当に必要な「経験」からどんどん遠ざかってしまう……
そんな様子を、何度も見聞きしていました。
もしかしたら、人の本質的な成長を願って提供している「知識」や「理論」が、「本当に大切なこと」から遠ざけているのではないか——そんなモヤモヤがあったのです。

でも、ここで一つ大きな落とし穴がありました。
誰よりも私が「頭でっかち」の「わかったつもり」だったのです。

本質的な成長には、自分への慈しみや労い(セルフ・コンパッション)が欠かせません。
だからこそ、つくる本や自分が書く記事では、しつこいほどに「自分を大切にすることから始めよう」と伝えてきたつもりです。

でも、髪と向き合ってよくわかりました。
誰よりも私自身が、自分を大切にしていなかった、と。

というのも、私は、ヘナやハーブによるケアとは、真逆のことをしていました。
少し前までは、毎月のように髪を染めたり、パーマをかけたり、トリートメントをしたり……今になって思えば「髪を傷めること」ばかりをやっていたわけです。

でも、どこかでは気づいていました。
こうした「なんとなく」やっていることが、髪や身体にあまり良いものではないことに。
だって、よく考えれば変ですよね。
いくらファッションのためとはいえ「沁みるかもしれないほどに強い刺激がある薬剤」を、生命の要である「頭」に塗るって。

でも、考えるのが「面倒」だったんです。
仕事だって忙しいし、プライベートも盛りだくさんで、やりたいことはたくさんある。
そんな毎日のなかで、いちいち考えていられなかったんです。
面倒なことはいいから、手っ取り早く「小綺麗に」なれればいい。
そうやって、他ならぬ自分のことなのに、関心を向けないようにしてきました。

今ならよくわかります。
「好き」の対義語は「嫌い」ではなく「無関心」
自分に無関心では、自己肯定感は育めるわけがありません。
その証拠に、当時の私は自分の髪が好きではありませんでした。

そんな私が「自分を大切にしよう」というメッセージを送っていたなんて。
今になると、なんだか気恥ずかしくて、申し訳なくなるほどです。

だけど、ありがたいことに、私には気づくきっかけがありました。
美容師で美容家、そしてオーガニックヘナを日本に普及する活動に従事されている森田要さんと出会い、真っ直ぐにこう投げかけられたのです。

自然のままの髪は、何よりも美しい
 でも、ブリザーブドフラワーのように、人工的な美しさを施し、追い求めていった結果、髪は傷つき、生命力は削がれてしまう。こんなレールに乗ることが幸せなのだろうか」

(『髪 あるがままの美しさを求めて』より引用)

実際にまっすぐ髪と向き合ってたら、そうしたら驚くほどの「変化」が訪れます。
まず、髪はみるみる艶やかになりました。

でも、それだけではありません。
身体で感じる変化は、やっぱり大きい。

「これは自分のところで留めておくのはもったいない! 誰かと分かち合いたい!」

そう直感的に思い、気づけば、美容師でも美容の仕事をしていたわけでもないのに「オーガニックヘナ」を紹介する仕事を始めていました。

この仕事を通じて、私がお伝えしたいのは、ただひとつ。
本当の意味で「自分を大切にしてほしい」ということです。

「大切にする」とは「真っ直ぐに向き合う」こと

じゃあ、自分を大切にするってどういうことなのでしょうか。

全く得意ではない私が、自分なりに言葉にするならば
「自分に真っ直ぐに向き合って、最善を尽くしていくこと」
ではないかと思っています。

とはいえ、いきなり「自分」の全体に向き合うって大変です。
だから、自分のなかの「何かひとつ」に向き合ってみてはいかがでしょうか。
しかも「心」とか「感情」のように形のない、捉え所がないものよりも、目に見えるもの(=身体)のほうがわかりやすくてオススメです。

「髪」もその入り口ですが、他の部分でもいいでしょう。
肌でも、首でも、手でも、爪でも、足でも、目でも、頭・頭皮でもいいと思います。
他ならぬ自分のために、自分自身の「どこか」と真っ直ぐに向き合ってみませんか?

そして、当たり前にやってきたことを、いったん見直し、
「もっと心地よい方法はないか」
「もっと自分が幸せな方法はないか」
と、試行錯誤してみませんか?

「これがいいかな」「あれがいいかな」と試行錯誤するプロセスすべてが、自分を大切にすることなのだと思いますよ。

ちなみに……
もし向き合いたい場所が思い浮かばないのだとしたら、私の推しは「髪」です。
なぜならば、髪は「死んだ細胞」だから。
「死んだ細胞」であるということは、睡眠、栄養摂取、運動、ストレスなど、人の営みの全てが「髪」に現れるわけです。だから「髪(死んだ細胞)」を大切にするって「自分を隅々まで大切にすること」だと思うのです。

しかも、髪は日々ケアするもの。
少しだけ手間をかけて、ブラシを入れる。
頭皮を労わるために、ヘッドマッサージをする。
髪のメカニズムを調べてみる。そして、何気なく使っていたシャンプーのやり方、成分を見直してみる。カラーリングやトリートメントの習慣を考えてみる。

ほんの些細な工夫・心配りが、労りや慈しみとなって自分の身体に積み重なっていきます。

こういう一つひとつの積み重ねが
「セルフ・コンパッション」
ではないでしょうか。

そして、自分自身が慈しみで満たされていったとき、周りへのコンパッションが自然と溢れ出していく——そんな思いやりと慈悲の連鎖がつむがれていったら、素敵なことですよね。

しかも、みんなの髪が艶やかで美しかったら……想像するだけで幸せになれそうです^^

さて、早いもので2023年も残りわずか。
がんばった自分への労いを込めて、自分と向き合う時間をとってあげてくださいね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!

柏原 里美

編集者/ファシリテーター
合同会社KAMI 代表
一般社団法人Integral Vision and Practice 理事
プロセスワークプラクティショナー
羽黒山伏(神子名:里爽)

茨城県行方市出身。
大学卒業後、教育サービス会社での予備校運営、​受験情報誌の企画・編集、新事業開発を経て、2011年より日本能率協会マネジメントセンターにて人材育成/組織開発を中心としたビジネス関連書の企画/編集に従事。同社出版事業本部出版部長、編集第一部長を歴任。主な担当書籍に『世界のトップエリートが実践する集中力の鍛え方』『インテグラル理論』『講師・インストラクターハンドブック』『野性の力を取り戻せ』『人が成長するとは、どういうことか』等​(担当した書籍の一部はこちら)。来るべきコンテンツ/テーマ/キーパーソンをいち早く発掘する「目利き的存在」と評価されてきた。
「人/社会の本質的な成長を促すこと」を目指し2022年に独立し、合同会社KAMIを設立。オーガニックヘナ&ハーブを使ったセルフケア、ライフスタイルの提案のほか、身近なところから始まる自己変容/社会変容の実験を積み重ねている。
2022年よりフリーランスとして編集者/ファシリテーターの活動もスタート。本質的なSocial Changeを目指す協働先とともに、書籍・Webなど各種コンテンツ、ワークショップ・リトリートの企画・プロデュースのほか、リーダーシップ開発支援、事業開発・広報支援等に携わる。
ライフワークは「修行」。湘南・沖縄の二拠点生活実施中。
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