この連載は、ドイツに暮らすTomokoさんが、マインドフルネスに出会い、それからどう人生が変わったのかを綴るエッセイです。
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第1回 始まりは娘の過呼吸。「私はひどい母親だった」と涙したあの日
第2回 「これ以上続けても意味がない」そう思った矢先、問題は私の中にあることに気づく
第3回 自動操縦状態に気づくだけで世界が変わる
第4回 感情の嵐の中で学んだ、感情との向かい方
第5回 自分の不完全さを認める勇気と、その先にあったもの ←今回はこちら
自分の思考パターンのルーツを考える
娘との関係が好転し、娘の将来に対して広い視野を持てるようになってからも、私に付きまとったのは後悔の念だった。私が完璧主義でなければ、成績主義でなければ、娘はこんな想いを味わうこともなかったのに、と考えてしまう。その都度、深い後悔の気持ちを観察し、受け止め、それが消えるまでそっとしておくのだが、その気持ちは何度も戻ってくる。
ネガティブ感情は私を知るための手がかりだから、そもそもなぜ私がそれほどまでに完璧主義で成績主義になったのか、考える時間を取ってみた。そこから面白い発見があった。
私は物心ついた時から、高圧的で私にダメ出しばかりする父親が嫌いだった。学校の作文コンクールで賞をとっても、非の打ち所がない成績を取ってきても、私には父に褒められた記憶はない。「遊んでやろう」と言われて喜んでボール遊びをしてもらえば、「ボールを拾いに行くのが遅い」「もっと球を観ろ」等と言われて、遊んでもらっているのか叱られているのかわからなくなることもあった。
私は自分のために勉学に勤しんできたつもりだったが、あの頃の父に対するやり場のない気持ちを思い出した時、私は父に認められたくて、彼の愛情が欲しくて、ひたすら頑張っていたのだと気がついた。もちろん、嫌いな父を見返したいという怒りに似た気持ちもあった。だが、その怒りの下には、愛されたかったのに満たされなかった悲しみがたくさん埋もれていた。
マインドフルネスに出会っていなかったら、私はそんな父を疎み、憎み続けたかもしれない。でも、今の私には、完璧主義の源が父にあったとわかっても、子供のころの悲しい気持ちがよみがえってきても、父を憎むことは、もうできない。
マインドフルネスからの想定外の贈り物
私には自動操縦状態にはまりこみ、娘を傷つけた過去がある。自動操縦状態にはまり込んでいたのは、それが見えなかったから、わからなかった(無明)からだ。見えない状態の中、それでも私は娘のために必死で母親の務めを果たしていたつもりだった。娘の求める母親像とは全く違う母親だったけれど、あれが、あの無明の中で私ができたベストだったのだ。勿論、それを正当化するつもりは一切ないし、今の私ができるのは、できる限り無明を取り除き、自他の苦しみをやわらげ、慈悲の心から行動することだけだ。ただ、昔の私、あの時の私がしたことは、当時の私の能力・知力の限界だったことは、深い哀しみと共に受け入れねばならない事実なのだ。
無明の中にいた、という意味で、父も私と同じだったのではないかと思う。戦中、戦後の厳しい時代を生きた人だ。親から褒められることも知らずに育ったのかも知れない。頑張らねば社会の藻屑になる、そんな信念を持っていたのかも知れない。父親であることは大黒柱であることで、子供に優しく声をかける役割など担っていない、そんな風に考えていたのかも知れない。他界した父に話を聞くことはもうできないが、私が無明の中でベストを尽くしたように、父も、父の人生経験だけを手掛かりに、懸命に父親であろうとしたのではないかと思う。私はそんな父を理解することはできても、憎むことは、もうできないのだ。
自分の弱さ、自分の不完全さを理解し、受け入れた後に、他者への深い理解と赦しが顔を出した。
これは想定外の、マインドフルネスからの大きな贈り物だった。
▲オランダとの国境近くにある、マインドフルネス(MBSR)講師養成合宿の宿泊施設。
終わりに
最近の若者は自分の恥ずかしい過去を「黒歴史」と呼ぶらしい。そういう意味で、私が今まで書いてきたことは、私の「黒歴史」なのだろう。でも、私は「黒歴史」というものは無いと思っている。
私が尊敬してやまないプラユキ・ナラテボー師は、「良き縁となし、良き縁となる」ことを説かれる。過去のことはすべて「あのことがあったから今がある、有難いことだ」と意味づけて「良き縁」となせば良い、そして過去から学んだことを生かし、今度は自分が周りの人にとっての光、「良き縁」となれば良い、ということだ。私はそんな想いで、自らの体験を書かせていただいたが、私の「黒歴史」を通してマインドフルネスの深さをお伝え出来たとしたら、これ以上嬉しいことはない。
これからも私は無明の中に、自動操縦状態に、何度も入り込むだろう。迷うこともあるだろうし、失敗もするに違いない。でも、その都度、気づきの明かりを灯し、明晰な心で、優しい心で、新しい一歩を今ここから踏みだしていきたいと思う。私にとって、マインドフルネスは「スキル」ではなく、生き方そのものだから。
■著者プロフィール:Tomoko
Tomoko
1990年からドイツ在住。子供のプレ思春期時に子育てに大きくつまずいたのをきっかけにマインドフルネスに出会い、子供と自分の心を救いたい一心で藁をもつかむ気持ちで学び始める。学んでいく中、マインドフルネスの力が「集中力アップ」「リラックス効果」「ストレス低減」にとどまらず、生き方さえ変える力を持つことを体験。現在はドイツMBSR/MBCT協会認定MBSR(マインドフルネス・ストレス低減法)講師(※)として、オンライン講座等を通してマインドフルネスを少しでも多くの人に伝えるべく、活動中。
※2021年10月正式認定予定。
HP : https://tomoko-dziuba.com/
※ヘッダー画像はマインドフルネス講師養成講座最終日、受講生仲間の1人が「私へのプレゼント」と言って贈ってくれた花。